美術の世界に音はいらない

この前、天野喜孝さんの展示会があったので観に行った。
展示会というのが始めての経験であったから、なにぶん心細かった。その上、『○○美術館』と称した立派なところでの展示会では無かったので、入り口ですら不安であった。
また、展示会の大きい、小さいという表現だってつけられなかった。それくらい内心、ビビッていた。

会場の入り口まで、人通りも無いくらい静かな場所だった。自分と同じようなお客すら見かけなかったので、寂しくも嬉しくも。
展示会の入り口でのアンケートをササッと記入後、こういう場は初めてだと言ったら、スタッフの方が一緒に着いてくれた。そのおかげか、ちょっと安心した。
だが、このスタッフの存在が後々まで響く事をこの時はまだ知らなかった・・・


−前に出すぎは禁物−
入り口として、まだ若い時に描いたものから、海外での輝かしい受賞、今の拠点なんかが導入としてあった。
そして、多くの方々が目にしたであろう絵(FFや吸血鬼ハンターDが中心)があちらこちらに点在していた。
希少価値というのは値段に比例していくとの説明に頷く事もしばしば。
『あぁ、見たことあるぜ!』
数々の作品と思い入れがその都度こみ上げている中、スタッフが説明してきた。
まぁ、最初くらいは説明して頂く事には抵抗感がなく、素直に聞いていたが、やがては趣味・嗜好なんかまで説明してきた。説明というよりヨコヤリ
『壁に飾るというより、置いておく方が多いんですよ』
『私はFF7セフィロスが好きで、購入したんですよ。見ているだけで癒されて明日への活力としています』
・・・ちょいっとイライラ感が出てきたが、展示会という場所を考慮した上、半分は聞き流すようになった。
正直、アパレルのショップ店員よりもしつこかった。そんなに説明しなくても伝わってくるよ。言い過ぎて価値を落としているのになぁ。


―見学、終了!―
結局、全部見終わった後はすぐさま出てしまった。
特に買う気は元々無かった。展示会という場所の雰囲気を楽しむ為に来たから。ま、これほどの値段をしても、買っていく人は買って行く。有名である作品だから購入するというよりも、自分に対して思い入れがある作品を購入されていく方が多いんだろうなと思った。


−作品の価値−
一つの作品に何十万も払う事を無駄だと思えば無駄。
でも車だったり、家だったりというように変動するものではない。作品としての価値が劣化しないのは需要がきちっとあるから。極少数である方が、安定な値段で売買されるケースが多い。先行投資をしたところで、後々回収できるというのも納得できる。


−美の世界−
美術というのは作品の価値もあるが、好きか嫌いかのどちらかしかない。
世の中にあるまぁまぁはない。
生ぬるい世界じゃないって事がヒシヒシ伝わってきた。
日本人が美術に関心が乏しいのはこういう所もあるんじゃないかって思った。


そういえば、創竜伝モノが無かった。残念。><;