逸れてこそ分かる

会議や打ち合わせの際、配った資料を皆が見ている姿が何となく気に食わない。
その前に、資料が3枚も4枚もあること自体、まとまっていない事のように思える。
両面を使うことだってあまりやらない。
資料の紙なんて会議が終わったらそれっきりがほとんど。
再利用の紙となる形が多いんじゃぁないかって。会議に2時間もかけている事自体、今は論外。
学校の始業式だって2時間もやったら飽きるよ、全く。
資料を作って、事前に配るぐらいはできるはず。その資料について内々で検討後、会議で発言するのが手っ取り早いように思える。(これが常識なのかも知れませんが・・・)
いちいち面倒くさい事を県のお役所がやっていた。地元のニュースで流れていたのですが、会議の姿が会議らしくなく(TVが入っていたから演出もあるでしょう)、皆が資料にひれ伏している姿でした。資料しか眼中が行かないほど。

オバマの演説で何が惹かれるかというと、堂々とした態度を示している点だと思った。
日本人のように、カンペを朗読するやり方って見ていてカッコ良くない。
カンペに話しているようにしか思えない。
昔、生徒会長の選出する際も、「○○したい」といった作文を読むだけ。
・・・これが嫌だった。
カンペを読んでいる姿を生徒全員が注目している・・・。
内容なんて聞いていませんから、結局は人柄だけで選ばれる。
「面白くないんだよなぁ〜」って当時思った。

何が言いたいかというと、少しぐらい皆と変わった事をやってもいいんじゃないかって。
目的に対して道は1本だけじゃないって事。遠回りしても目的が達成されれば同じ。
方法はたくさんあるから、考えようよ!ってこと。
コレが正しいやり方なんてない。
いつでも、効率のいいやり方を模索すべきでしょ。
気分でやり方を変えてもいいんじゃないかと。


…という事でもありませんが、タイトルを変更しました。